「日本の屋根」信州のサクラ

元長野県歴史館館長で地理学者の故市川健夫氏(2016年没)が生前寄稿された信州のサクラについての文章

長野県高遠城址公園桜とアルプス


信州の桜前線のスピードは一日五〇メートル

春の遅い山国信州でも四月に入ると、各地からサクラの開花便りが聞かれるようになる。サクラは平均気温が一〇度ぐらいになると咲き始めるが、その開花時期は、その年の陽気を示すバロメーターになっている。そこでマスコミは毎日のようにサクラ開花情報を流すようになる。沖縄をはじめ南西諸島のサクラは、華南や台湾と同じ緋寒桜(ひかん桜)であるが、日本本土のサクラで最も普遍的な品種はソメイヨシノである。
長野地方気象台の統計では、ソメイヨシノの開花は飯田の四月六日が最も早く、松本十二日、長野十三日と北上していく。このサクラ開花前線のスピードは一日平均二〇キロである。ところが、長野県の南端に近い天竜村の平岡ダム公園では、三月二十六日にサクラが咲き始める。東京の三月二十七日より一日早いが、その緯度が湘南海岸と同じであるから、信州の中で春の訪れが最も早いのは当然であろう。また最北の飯山では四月下旬になって開花する。一方信州は山地が多いが、サクラの開花前線は一日五〇メートルの割合で山を登っていく。したがって、標高が高い諏訪の開花は、松本より遅く、四月十六日になる。白馬村佐野坂の親海(およみ)に源を発して、北流する姫川流域では、サクラ前線は上流に向かって南下していく。開花は糸魚川では四月初めであるが、小谷村島温泉では四月中旬、佐野坂の麓にある貞麟寺(じょうりんじ・白馬村)の枝垂桜が咲くのは、五月に入ってからである。長野市内にある市立図書館の魯桃桜(ろとうざくら)は三月下旬に咲くので、春を告げる話題として毎年のように報道される。ロトウザクラは実はサクラではなくモモの一種で、中国東北部のハルビン市から移入された外来種である

信州には十八種類のサクラが咲く

長野県下には十八種類にもおよぶサクラがみられる。植え付けされたサクラはソメイヨシノが多いが、その品種は幕末に江戸の近郊武蔵野国豊島郡染井村(現東京都豊島区池袋付近)の植木屋が選択したもので、明治初期に命名された。しかし今のソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンを交配してつくられた品種だという。信州の山野に点々と自生しているヤマザクラは、開花とともに葉が同時に出る。その開花は五月に入ってからである。さらに二八〇〇メートルの高さでも花を咲かせるタカネザクラもある。厚いヤエザクラの花を塩で漬けた「花漬け」が大桑村須原宿の大和屋が造っている。昔は梅・桃なども漬けたが、今ではヤエザクラのみになった。花漬けは茶碗に入れて湯を注ぐと花が開いて末広がりになる。そこで験(げん)をかついで、東京の下町では、結納の際には花漬けの湯が出されている。高遠町では花漬けを入れた「花粥」を造っているが、花漬けとともになかなか好評である。      

高頭城址公園の桜は「桜守」が肥培管理

現在長野県下のサクラの名所といえば、廃藩置県後に城跡に植えられたところが多い。飯山城跡、上田城跡、小諸城跡(懐古園)はその代表だが長野の城山公園は中世の横山城跡である。何といっても全国的に有名なサクラは、内藤氏三万三千石の高遠城跡公園であろう。ここは国の天然記念物に指定されているコヒガンザクラが八〇〇本も植えられている。ソメイヨシノより色鮮かなコヒガンザクラの花は実に豪華である。三峰川(みぶ)や藤沢川が刻んだ段丘上にある城跡は、戦国時代から名城として知られているが、南アルプスの山懐にいだかれたサクラ庭園公苑になっている。自然主義作家の田山花袋をはじめ多くの文人が多数高遠を訪れて、高い評価を与えている。この美しい花を咲かせるため、専任の「桜守」(さくらもり)が二人いて、一年を通じてサクラの木を肥培管理など保護しているのである。

サクラの木は花だけでなく日常生活にも活用

長野県下には高遠のほかサクラの天然記念物が多い。長野市芋井の神代桜(アズマヒガン)、山ノ内町夜間瀬の千歳桜(アズマヒガン)、飯田市長姫の安富桜(アズマヒガン)、箕輪町中曽根の権現桜(エドヒオガン)、美麻村南大塩の静の桜(イヌザクラ)、が国や県から指定を受けている。なお高山村には樹齢二〇〇年以上のシダレザクラの巨樹が一〇本もある。エドヒガンザクラ、ソメイヨシノとともに、高山村は桜の山里として近年有名になり、多くの観光客が訪れるようになった。『万葉集』にはウメやモモをうたった歌が多いが、サクラはあまりみかけない。室町時代になると将軍足利義政が花見予想を行っていることから、観桜会が五〇〇年前から開催されていたことがわかる。それが安土桃山時代からますます盛んになり、江戸時代に入ると江戸の上野山・飛鳥山、京都の嵐山、大和の吉野山のように桜の名所が各地に生まれた。しかし長野県下では明治になってから組織的ににサクラが植栽されている。サクラは花見ばかりでなく、食用(桜桃・サクランボ)にもされた。ヤマザクラの皮は木曽の曲輪(まげわ)細工の縫いに用いられ、また竹細工の箕(み)にも編みこまれている。茶筒などの轆轤(ろくろ)細工にもヤマザクラの皮が張られている。イワナ・サケなどの燻製に適した燃料は、ミヤマハンノキとヤマザクラである。なおヤマザクラの木は紅色で美しいところから、床の間などの建築材料にも使われてきた。

*記事は2000年に書かれたものであり、記事内容と現状が相違している場合もあります。

市川健夫氏(写真・1927年長野県小布施町生まれ。2016没)

日本の地理学者。信州短期大学学長、東京学芸大学名誉教授、長野県文化財保護審議会会長、長野県立歴史館館長などを歴任。地域学としての信州学を提唱。一連のブナ帯文化の研究で、第九回風土研究賞を受賞。

主な著書に「平家の谷 秘境秋山郷」・「日本のサケ-その漁と分化誌」・「雪国文化誌」・「再考・日本の森林文化」・「風土の中の衣食住」・「ブナ帯と日本人」・「日本の四季と暮らし」・「森と木のある生活」・「信州学ことはじめ」・「信州学大全」など多数。