危ない水資源

簡易水道と地域の水源域の保全を

鵜飼照喜(信州大学名誉教授・環境社会学)

私が小学校のころ、突然自宅の井戸水が枯れ、急遽市営水道を導入した経験があり、なぜか鮮明
に記憶に残っている。
というより、ある時点でその記憶が鮮明によみがえり、現在でも環境問題を考える際の一つの
重要な材料になっている。また、井戸水の使用から水道の利用に切り替えたことで、我が家が「
近代的」生活に一歩進んだと考えたことも、併せて記憶に残っている。
井戸が枯れた原因は、自宅近くにフィルム会社の現像所が建てられ、稼働を始めたことによる
ものであった。周知のように、我が国では地下水の規制がないので、同様の事例は全国各地にあ
ると推測される。
他方で、20年半の沖縄の生活では、生活用水といえば絶えず「渇水対策」に悩まされ続けてい
た。「渇水対策」とは沖縄の慢性的な水不足に対する行政側の表現であるが、住民側では「断水
対策」と受け止められる。沖縄の本土復帰直後には、国の事業として沖縄本島北部に大型ダムを
建設する計画が喧伝され、それに対する県民の期待も大きかった。
しかし、地元の中では「北部水瓶論」への根強い批判があったが、当時の私にはその意味が十
分理解できていたとは言えなかった。
やがて、沖縄の環境問題に取り組む中で、大型ダムの建設による生活用水確保という「近代的
政策」への疑問が生まれ、今ではそうした近代化政策には大きな疑問を持つに至っている。
冒頭の「井戸枯れ事件」はこうした動きの中で、突然思い出されたのである。
というのは、沖縄の事例でみたように、大型ダム建設による生活用水確保という発想は、戦後
の経済成長をもたらした公共事業中心の経済政策そのものであるのみならず、それらの事業が実
は地域住民の持つ、地方の様々な社会的能力を放棄・断絶させ、地方の衰退につながって
いるのではないかという疑問に結びついたからである。
大型ダム建設による生活用水確保政策は、従来からの各地域の小規模水源による簡易水道を無
用なものにしてしまう。かつてはそうした簡易水道による生活は、前近代的なものとみなされて
いたが、環境問題への関心というより沖縄の断水経験はそうした意識を一変させた。
小規模簡易水道は実は身近なところに水道水源があり、その大半では水源の維持管理が地元住
民の手によると考えられる。その場合には、水源地周辺の保全=自然保護に必然的に意識が向い
ているし、その水源域が子供たちの遊び場になっている場合でも、その保全という意識は必然的
に子供たちに伝承されていくであろう。
ダム建設による水道水源の確保は、そうした地域住民の水源域保全活動から住民を開放し、住
民負担を軽減すると行政側が喧伝するが、現実には、ダム建設費用やその後の水道施設の維持管
理費は、結局住民の税金や水道料金の負担増という形、住民の目に直接には見えない形で還って
くる。
さらに、この「住民の解放」は、住民が持っていた水源地保全のための様々な社会的能力を放
棄することであり、地域社会の成立基盤である自然環境へのかかわりを弱め、その環境意識を衰
退させることになる。もとより、子供たちのそうした活動や意識の継承も失わせることになる。
上水道の近代化政策はこうして地域社会の様々な能力を衰退させ、地域生活が成り立つ自然環境
へのかかわりと環境意識を衰退させてきたという面は否定できないであろう。
ところで、約30年前に長野に転勤した際、すぐに長野市の水道水があまりおいしくないことに
気が付いた。やがてその水源の大半が野尻湖や犀川であることを知って、「むべなるかな」とい
う思いに至った。
しかし、その数年後、知人に連れられて飯山市富倉にそばを食べに行った。もちろん富倉そば
の独特の味に、表現する言葉がなかったことを覚えている。それとともに、出された水のうまさ
にも驚愕したものである。水を運んできた蕎麦屋の女性に「この水は、うまいですね。水源は地
区の簡易水道ですか」と尋ねたら、「地区の水源ではなく、一軒ごとの水源ですよ」という答え
が返ってきたことに、また驚愕した。
さらに、彼女からは「この富倉では、一軒ごとにそこの山に水源をもっており、そこから水を
引いてきている」という説明が付け加えられた。
地域の水源ではなく、世帯ごとに水源をもっているというのである。
中東や砂漠地帯のような水の少ない地域の住民が聞いたら、何というであろうか。
ある民放の「一軒家」を尋ねる番組でも、同様に近くの沢の水をひいて利用している生活が紹
介されることもあるが、富倉では世帯数が少ないとはいえ、その地域すべての世帯が「自前の水
源」を持っているのである。もとより、各世帯の水源域は「そこの山」一帯に散在しており、地
域全体で、「そこの山」の水源域の管理が古くから行われていたであろう。
なお、このそば体験の当時、飯山市では千曲川の河川水が飯山市の水道水源の一部として利用
されていたが、やがてはすべて地下水に切り替えられていく計画であるという話を、蕎麦屋に案
内してくれた知人が話していた。
先年、小生が出席したある会合で、長野県では「上水道の民営化」はありえない、としている
が果たしどうであろうか。
周知のように国レベルでは、民営化はすでにその方向性が打ち出されており、全国各地で、そ
の政策に疑問の声が多く出されている。水源が地域住民から切り離されてきたことは、地域の環
境意識・環境へのかかわりを衰退させることはすでに述べたとおりであるが、「民営化」は地域
住民からの分断を一層進めることになることは、火を見るより明らかであろう。さらには水不足
に悩む国が、というより他国の水資源を確保・販売し、自国の富を増やそうとする国の目論見を
防ぐことができるであろうか。
全国的に水道施設の老朽化が深刻な課題であると報道されているが、「命の水」の確保のため
には、国からの財政的な支えが強く求められるのである。管理運営上の財政的な理由を口実に、
水源が他国に奪われる危険を冒すことなど、論外である。
富倉に案内してくれた知人が、そばを食べているときに、「ここには『隠し田』がある」とい
うので、蕎麦屋の店主に聞いたところ、親切にその入り口を教えてくれたので、そばを食べた後
で、そこへ出かけてみた。そこは水源域一帯より少し高いところにあり、向かい側に新潟県の山
地が見えるところではあったが、確かに「隠し田」にふさわしく、木々に深く抱かれたところで
あった。そこは現在では地域の共有地となっており、耕作を希望する個人に貸し出されていると
いう。2町歩ほどといわれる耕地には、丁寧に葉野菜が作られていた。
後日、昭和30年代に出版された飯山市の歴史を著した書物に、「富倉の隠し田」という記述を
見つけ、「隠し田」を題材にした漫画を、学生時代に読んだことを思いだしたものである。

                  隠し田とは
我が国の近世以降の租税制度は、いわゆる太閤検地以降、農村の生産物に対する厳密な物納課税
が実施されてきた。
 その中で、集落では少しでも自前の財源確保を目指し、検地から逃れて農産物を確保する努力
が各地で積み重ねられてきたと考えられる。その一つの方策として、検地される集落の耕地から
は隔離され、隠された耕地を確保し、租税を納めない耕地が「隠し田」といわれる。
今日的な表現でいえば、「脱税」であり、なおかつ集落単位で行われてきたことから、「集団
的脱税」あるいは「企業の脱税」に相当するということができる。
 こうした活動は集落ぐるみで行われているし、またそうでしかありえない。本文で触れたとこ
ろも現在ではいわゆる「共有地」となっており、希望する農家に貸付け、なにがしかの地代を集
落に収めている。
 本文の主題は水であり、水源が世帯単位で確保されていることを示したが、水源地域はその周
辺一帯と合わせて集落による共同管理が行われている。この点で、集落の一部に「隠し田」=共
有地が存在することは、集落が水、耕地、山林等を含めて、集落とその背後の地域全体を共同管
理していることを意味している。